大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和58年(ネ)2717号 判決 1984年9月29日

控訴人 有限会社大圭青木水産

被控訴人 国

代理人 井上経敏 古賀庸之 ほか六名

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  差戻前及び差戻後の控訴審並びに上告審における訴訟費用は、控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金九四九万六五〇〇円及びこれに対する昭和五一年七月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被控訴人

1  主文第一項同旨

2  控訴費用は、控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  控訴人は、被控訴人に対し、次のとおり、魚卵を売渡した(以下この売買を「本件売買」という。)。

(一)昭和五〇年一二月一六日 数の子三〇〇〇キログラム 金一七二六万八〇〇〇円

(二)  〃  〃  一七日 〃  二〇〇〇 〃    金一一三二万二〇〇〇円

(三)  〃  〃  二二日 〃  一〇〇〇 〃    金 五四〇万円

(四)昭和五一年一月三〇日  〃  一〇〇〇 〃┐   金 七〇〇万六五〇〇円

〃  〃   〃  助子 二一四二 〃┘

合計金 四〇九九万六五〇〇円

2  本件売買に至る経緯は、次のとおりである。

(一) 昭和五〇年一二月初旬、食品関係の仕事をしている訴外竹内春男から控訴人の専務取締役である坂本元(以下「坂本」という。)に対し、防衛庁が職員の正月用の数の子を欲しがつているとの話があつたところ、同月一〇日頃、防衛庁航空自衛隊補給統制処第三部所属の防衛庁事務官中村栄作(以下「中村」という。)から電話で「数の子を購入したいので防衛庁へ来てくれ。」との依頼があつた。

(二) そこで、坂本は、同月一三日、市ヶ谷の航空自衛隊補給統制処第三部の中村の執務室に同人を訪れ、右執務室の前の会議室において中村から「自分は航空自衛隊の諸々の物資を補給調達する係であるが、正月用に職員にあつせんし、あるいは隊員の食事に供するため、数の子を購入したい。五トン程であるが、一七日か一八日までに自衛隊に納めてほしい。値段もなるべく安くして欲しい。」との申込を受けた。坂本は、納入の手当ができ次第中村に連絡することにして辞したが、発注書などは、量や値段がきまつた段階で内部で処理しておくとのことであつた。

(三) その後納入の手当ができたので、坂本は、中村にその旨連絡し、値段と支払条件について話し合つた結果、半金は昭和五〇年一二月三一日限り、残金は昭和五一年一月一五日限り支払う旨の合意が成立した。

(四) そして、中村から、自衛隊より車を用意するからとの連絡があり、自衛隊から車が来て、前記のとおり昭和五〇年一二月一六日、一七日の売渡を了した。運転手の話では、一六日には入間の自衛隊に、一七日には熊谷の自衛隊に搬入する由であつた。

(五) 中村は、同月二〇日数の子一トンの追加注文をしたので、控訴人は、同月二二日前記と同様の約定で売渡した。

(六) 中村は、更に、昭和五一年一月二八日、「納入された数の子は非常に評判がよく、その上調達の予算が六、七百万円ほど残つているので、あと少し購入したい。」旨申込んできたので、代金は同年二月五日に全額完済するとの約定で、前記のとおり同年一月三〇日の売渡をした。

(七) なお、控訴人は、本件売買代金のうち、金三一五〇万円の支払を受けたが、残金九四九万六五〇〇円の支払を受けていない。

3  仮に、中村に本件魚卵購入調達の権限がないとしても、同人は電気機器、その部品等の調達の権限を有していたのであり、その権限を越えて本件売買契約を締結したものであつて、控訴人には、次のとおり中村が本件売買契約を締結する権限を有するものと信ずべき正当な理由があつた。

(一) 一般人は、防衛庁等の官庁の職員に対しては、民間会社の従業員に対するよりも高度の信頼を抱いている。

(二) しかも、中村の所属する航空自衛隊補給統制処は、航空自衛隊の必要とする種々の物質の補給調達をするところである。

(三) 同処に所属する者と面会するには、面会申請所(以下「詰所」という。)で申請書に日時、面会の相手及びその所属、面会の目的、申請者の住所氏名等を記入して申請したうえ、詰所から面会の相手に連絡が行き、その者の意向を聞いた後に面会が許可され、又面会が終ると、面会の相手方が右申請書に何時から何時まで面会した旨を書込み、捺印して面会者に交付し、面会者は右の申請書を詰所に提出して、それと引換えにバツジをもらい、これを門衛に提出して外へ出るという手続をとるのである。

(四) 坂本が、このような手続を経て、前記の如く補給統制処第三部の会議室において中村から本件売買契約の申込を受けたことその他前記の本件売買契約に至る経過からすれば、控訴人において、普通人の注意を用いても、中村に本件売買契約締結の権限がなかつたことを知り得なかつたのであり、控訴人において中村に右権限ありと信ずべき正当な理由があつたものというべきである。

4  仮に、被控訴人に本件売買契約に基づく責任がないとしても、中村は、前記のとおり被控訴人の被用者で、電気機器、その部品等の調達の権限を有するものであるところ、その権限を濫用して、補給統制処内の会議室において控訴人に対し自衛隊の職員、隊員用に糧食を購入すると申し偽り、控訴人をして本件売買契約を締結させ、未払代金相当額の損害を被らせたものであつて、中村の右の行為は外形上同人の職務の執行にあたるというべきであるから、被控訴人は、国家賠償法第一条の規定により中村が控訴人に被らせた損害を賠償する責任がある。

5  仮に、被控訴人に国家賠償法第一条の規定による損害賠償責任がないとしても、次のとおり、被控訴人の被用者である中村が事業を執行するにつき控訴人に損害を被らせたのであるから、被控訴人は、民法第七一五条の規定によりその損害を賠償する責任がある。

(一) 被用者が職務を逸脱して事業を執行した場合、殊に被用者が地位を濫用し私利を図り私用を足すために行為した場合には、当該行為の相手方(被害者)の立場を尊重して、当該行為の外形から客観的に判断し、当該事業の執行行為に該当するか否かを検討すべきである。

防衛庁航空自衛隊補給統制処は補給処の行う業務が円滑に行われるよう計画し、その実施を指示し、また業務が計画どおり遂行されるよう監督するものであるが、補給処は、補給統制処第三部第三整備課が購入の必要を認め、購入の決定をした器材を補給統制処の技術指令書に基づいて購入するのであつて、いわば航空自衛隊の整備又は改修のための器材は補給統制処第三部第三整備課が購入し補給処はその手続をするにすぎないのであり、そうでないとしても補給統制処と補給処が共同して航空自衛隊の必要とする物資を購入するものというべきであつて、中村は補給統制処第三部第三整備課計画班の構成員として器材の調達、購入の計画決定に関与していたものである。そして、(1)防衛庁航空自衛隊補給統制処という名称からすれば、社会通念上その部署が物資の補給調達に関する業務を担当しているものと考えられること、(2)坂本は、補給統制処所属の防衛庁事務官である中村から直接電話で連絡を受けて、東京都新宿区市ヶ谷所在の補給統制処へ出頭することを要請されたこと、(3)坂本は、中村と面接し売買の折衝をするのに、所定の厳重な面会手続を経て航空自衛隊市ヶ谷基地内に出入りしたうえ、補給統制処と大書した表示(看板)のある三階建鉄筋コンクリート造建物(同基地に所在する一二号館)の二階会議室において、中村と長時間にわたつて商談し、中村から「年末に正月用の数の子を職員にあつせんし、又は隊員の食用に供するため、数の子を購入したい。」と注文を受けたこと、その他諸般の事情に照らせば、中村が控訴人に対し控訴人主張の数の子等を注文し、控訴人からその交付を受けた行為は、被控訴人の事業の執行につきされたものというべきである。

(二) 中村が職務権限を濫用して控訴人から売買名下に控訴人主張の数の子等の交付を受けたものであるとしても、控訴人は、中村のした職務権限濫用行為につき善意無過失であつた。すなわち、控訴人のみならず一般民間人は官庁(特に防衛庁等)の職員に対し高度の信頼を抱いているばかりでなく、控訴人のように生鮮品を取扱う水産業界においては、天候、漁獲量等により短時日の間に値段の相場が上下するので、取引は電話一本によるやり取りで決めるのが通例であり、また、各時点における相場がおのずから形成されているので、取引の数量さえ決まれば売買代金額も自然に定まるものであつて、発注書や契約書を取り交わしたうえで取引を成立させるような事例はないのである。更に、控訴人は、業界の顧客以外の者と取引をしたことがなく、官庁を相手に取引をしたのは本件が初めてのことである。したがつて、前記(一)の(1)ないし(3)のような事情のもとにおいて、控訴人が従来の取引方法、取引感覚をもつて官庁の職員である中村との間に取引の折衝をしたことは何ら非難されるべきことではないものというべきである。

6  また、被控訴人は、次のような自らの過失により控訴人に損害を被らせたのであるから、民法第七〇九条の規定によりその損害を賠償する責任がある。

(一) 被控訴人は、公僕たる防衛庁事務官として誠実公正に職務を全うすべき職員を採用すべき義務があるのに、これを怠り、賭博罪の前科をもつ中村を採用したのであるから、被控訴人にはその選任行為につき過失があつた。そして、金銭に密着した賭博罪を犯すような者は、その地位を濫用し、いずれも金銭的犯罪を犯すであろうことが目に見えていたのであるから、被控訴人としてはその予見が可能であつたはずである。

(二) 被控訴人は、採用した中村がその業務を公正に遂行するよう常時監督すべき義務があるのに、これを怠り、次のような過失を犯した。

(1) 中村は、坂本を補給統制処の会議室に招き入れ、会議室で長時間にわたり商談したのであるが、被控訴人は、中村が勤務時間中に会議室を詐欺行為の道具立及び実行場所として使用していたことを漫然と看過した。

(2) 中村は、補給統制処総務課又は第三調達課の保管に係る「調達品出荷支払通知書」用紙及び印判を無断で持ち出し、右表題の文書二通を偽造したが、被控訴人は、これを看過した。

(3) 中村は、控訴人との本件取引にあたり、取引内容の打合わせ、代金の催促に対する弁解等のため、十数回にわたり長時間に及んで坂本と電話で話しをしているが、その電話による通話はすべて補給統制処第三部第三整備課の中村の執務室にある電話機を使用して行われたものである。そして、中村の執務室には中村の机に接して上司の机が置かれ、上司は、中村が坂本と通話をしていたとき相当回数にわたつて中村と同室していたのであるから、中村のした不正行為に気付くことができたものというべきであるのに、それに気付かなかつたのであるから、その監督義務を十分に尽くさなかつたものというべきである。

7  よつて、控訴人は、被控訴人に対し、主位的に本件売買残代金九四九万六五〇〇円と、予備的に不法行為による損害賠償金九四九万六五〇〇円とこれに対する本件訴状が送達された日の翌日である昭和五一年七月二五日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金との支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は否認する。

2(一)  同2(一)の事実のうち、中村が当時防衛庁航空自衛隊補給統制処第三部第三整備課に所属していたことは認めるが、その余の事実は不知。

(二)  同2(二)の事実のうち、坂本が控訴人主張の頃商談のため市ヶ谷の航空自衛隊補給統制処第三部に中村を訪ねたことは認めるが、その余の事実は不知。

(三)  同2(三)の事実は不知。

(四)  同2(四)の事実のうち、「自衛隊から車が来て、前記のとおり昭和五〇年一二月一六日、一七日の売渡を了した。」との点は否認し、その余の事実は不知。

(五)  同2(五)の事実のうち、昭和五〇年一二月二二日売渡した点は否認し、その余の事実は不知。

(六)  同2(六)の事実のうち、昭和五一年一月三〇日売渡した点は否認し、その余は不知。

(七)  同2(七)の事実は否認する。

3  同3の冒頭の部分のうち、中村が電気機器、その部品等の調達の権限を有していたことは否認し、その余は争う。

(一) 同3(一)の事実は争う。

(二) 同3(二)の事実は否認する。

(三) 同3(三)の事実は認める。ただし、「それと引換えにバツジを貰う」のではなく、入門許可に際し許可バツジを貰い、出門に際し面会証とともに入門許可バツジを返納させる取扱いである。

(四) 同3(四)の主張は争う。

(五) 以下に述べるとおり、中村は、当時契約権限その他の代理権を有していなかつたから、控訴人主張の権限踰越の表見代理が成立する余地はない。

(1) 中村は元航空自衛隊補給統制処第三部第三整備課計画班所属の防衛庁事務官であつた(昭和五一年六月五日付け懲戒免職)。

(2) 航空自衛隊には補給処と補給統制処が置かれているが(自衛隊法第二四条第二号及び第三号)、補給処は航空自衛隊の用いる需品、火器、弾薬、車両、航空機、施設器材、通信器材、衛生器材等の調達、保管、補給又は整備及びこれらに関する調査研究を行う(同法第二六条)のに対し、補給統制処は右補給処の行う業務に関する統制業務を行うもの、すなわち補給処の業務が円滑に行われるよう計画し、その実施を指示し、また業務が計画どおり遂行されるよう監督し、計画目標と実績とを検討して業務遂行上のあい路を究明し改善する等の措置をとるものとされている。

(3) 補給統制処第三部は、通信器材、電波器材、気象器材、写真器材、計測器、訓練器材等及びこれらの部品にかかる前記統制業務を所掌しており(昭和四三年航空自衛隊訓令第三号「航空自衛隊補給統制処組織規則」)、第三整備課は、通信器材、電波器材、気象器材、写真器材(航空機とう載の通信器材、電波器材及び写真器材並びにナイキ特殊整備品を除く。)、計測器、訓練器材(航空機関係訓練器材を除く。)等及びこれらの部品について、<1>整備業務の統制及び指導に関すること<2>整備の計画に関すること<3>整備に関する調達請求に関すること<4>改善及び改修業務に関すること<5>技術関係図書の審査に関すること<6>整備に関する基準の資料の作成に関すること<7>計画諸元に関する資料の作成に関すること<8>整備に関する標準化業務に関すること<9>関係予算の調整に関すること<10>部内の業務の総括に関すること<11>前各号に掲げるもののほか、部内の他の課の所掌に属しない事項に関することをつかさどるものとされており(同規則第二一条)、第三整備課計画班は、(ア)部の所掌業務について、<1>部の計画作成<2>事務の総括、<3>所掌予算の総括、調整及び現況は握、<4>支援状況の総合は握、分析検討及び処理促進<5>SOPの作成維持に関すること、(イ)右のほか部内の他の課の所掌に属しない事項に関することをつかさどるものとされていた(昭和四三年補給統制処達第三四号「補給統制処の内部組織に関する達」)。

(4) 中村の担当業務は次のとおりであつた。

(ア) 第三部内各課が作成した業務計間の進捗状況等の分析検討書を取りまとめ、部長承認を得るための諸準備に関する業務

(イ) 会計検査院実地検査受検時に説明実施者が作成した質疑応答書の整理業務

(ウ) 補給統制処の作成する機関誌「装備」の編集委員としての業務

(エ) 第三部一般秘密保全責任者としての業務

(オ) 技術指令書案の接受、記録及び送達の業務

(カ) 装備品の維持管理を能率化するための標準化についての会議日時等を部内担当者へ連絡する業務

(5) なお、会計法(以下この項において「法」という。)上売買等の契約を実施する権限を有する者は、支出負担行為担当官(法第一三条)及び契約担当官(法第二九条の二)(以下「契約担当官等」という。)に限られるが、補給統制処において、右契約担当官等に指定されている官職は次の二つである。

(ア) 装備基準部調達課長

分任支出負担行為担当官(法第一三条第三項、予算決算及び会計令第三八条)であつて、補給統制処長(補給分任物品管理官)の調達要求に基づき、日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定第一条の規定に基づく有償譲渡物品につき契約を実施する。

(イ) 業務課会計班長

契約担当官(法第二九条の二第三項)であつて、補給統制処長(一般分任物品管理官)の調達要求に基づき、市ヶ谷基地所在の部隊(航空自衛隊の中央航空通信群、幹部学校、補給統制処)で使用する事務用の備品及び消耗品につき契約を実施する。海産物等糧食の契約業務は行つていない。

(6) 以上のように、補給統制処においては、ごく限られた物品について売買契約を締結することがあるのみで、しかも契約権限を有する者は右の二名だけであつて、中村は契約権限その他の代理権を有するものではない。

4  同4の主張は争う。中村の職務の具体的内容は、前記のとおりであつて、糧食その他物品の購入契約をする業務とはおよそかかわりのない業務に従事していたのであるから、仮に、同人において控訴人主張の如き行為をしたとしても、外形上中村の職務の範囲に属する行為でないことはきわめて明白である。

5  同5の冒頭の事実(中村が被控訴人の事業を執行するにつき控訴人に損害を被らせたとの事実)は否認する。

(一) 同5の(一)のうち、(1)については、補給統制処という名称は、統制という文言から補給を統制・計画・調整する業務を担当する部署であることを容易に推測させるし、(2)については、本件とさして関連性のない事柄であり、(3)については、厳重な面会手続を経て基地内に出入りしたことは本件と何ら関連性がなく、会議室は補給統制処の会議室であり、会議室が使用されたこと自体をもつて中村のした行為が職務行為であるとみられる外形とはなりえない。また、第三整備課が隊員にあつせんする正月用数の子を購入するということは常識的に信じ難いことである。

中村ないし航空自衛隊補給統制処第三部の職務権限は、「補給処の行う航空自衛隊の用いる需品の調達等の業務を統制(補給処の業務が円滑に行われるよう計画し、その実施を指示し、また、業務が計画どおり遂行されるよう監督し、計画目標と実績とを検討して業務遂行上のあい路を究明し改善する等の措置をとる)する業務を行う」ものであり、物品購入の権限を有さないことはもちろん、これと関連する職務権限も有していない。まして、「防衛庁職員にあつせんする正月用数の子の購入行為」が真正な職務と全く関連しないことは明らかである。したがつて、中村のした行為を外形的に検討してもその行為が中村の職務行為との関連性のある余地は全くなく、中村のした行為は事業の執行につきされたものではないというべきである。

(二) 同5の(二)の事実は否認する。

控訴人は、中村のした行為が真正の事業執行でないことを知らなかつたことにつき重大な過失があつたから、この点からも民法第七一五条の規定は適用されない。すなわち、中村が控訴人との間にした取引は、官庁との取引としては通常あり得ない異例の態様に属するものであり、通常人の注意をもつてすれば、控訴人においてこれを容易に看取し得たものであるから、控訴人にはこれを知らなかつたことにつき重大な過失がある。控訴人は、その営む業種の特殊性のために取引の異常性を看取し得なかつたと主張するが、それは控訴人ないし坂本の固有の事情にすぎないのであるから、控訴人の右の主張は失当である。

6  同6の冒頭の事実(被控訴人自身に中村の選任監督につき過失があつたとの事実)は否認する。

(一) 中村の賭博罪の前科は罰金刑であるから、中村は官職に就くに際し国家公務員法第三八条の規定する欠格条項に該当する者でなかつたし、採用時においてその者が採用後犯罪を行うことが容易に予見し得るような特段の事情が存しない限り、採用に過失があつたとはいえないものであるところ、中村を採用するに際しそのような事情は存在しなかつたのであるから、被控訴人が中村を採用したことについては何ら違法がない。

(二) 同6の(二)の事実は否認する。

(1) については、控訴人主張の会議室は職員が誰でも使用できるものであり、特に上司等が中村の不法行為に気付いていない限り、中村が会議室を不法行為の場に使用することを規制することは不可能であるが、本件の場合、会議室が右のような目的で使用されているとの疑いを抱かせるような状況はなかつたのであるから、被控訴人が中村の会議室使用行為を看過したというのは当たらない。

(2) については、控訴人主張の偽造文書のもとになつた用紙は単に防衛庁内部で使用されるものにすぎないものであり、また、偽造文書に押捺された印判(スタンプというべきもの)も内部文書が決裁済みであることを表示するものにすぎないものであるから、いずれもその取扱い及び保管に注意を要するものでなく、したがつて、被控訴人が中村の右用紙及び印判の使用を看過したことをもつて過失があるというのは当たらない。

(3) については、中村が執務室の電話で坂本と通話をしたとしても、中村は大声で通話したとは考えられず、また、上司等もそれぞれ執務しているのであるから、中村の通話の内容につき注意を払うべきであつたと要求するのは不可能を強いることになり、当を得ないものであつて、被控訴人は何ら監督義務を怠つていない。

第三証拠<略>

理由

第一売買残代金請求について

一  <証拠略>によれば、控訴人が、航空自衛隊補給統制処第三部第三整備課計画班所属の防衛庁事務官である中村の注文により、同人との間において、請求原因1の(一)ないし(四)のとおり、魚卵類を売渡す旨の契約を締結し、これを同人に引渡したことが認められる。しかしながら、同人が被控訴人を代理して右売買契約を締結する権限を有していたことについては、本件にあらわれた全証拠によつてもこれを認めることはできず、かえつて、<証拠略>によれば、中村は右の権限を有していなかつたことが明らかである。

二  次に、控訴人は、中村が電気機器、その部品等の調達の権限を有していたことを前提として、本件売買契約の締結につき権限踰越による表見代理が成立する旨主張するが、中村が右の権限を有していたことについては、本件にあらわれた全証拠によつてもこれを認めることができず、かえつて、<証拠略>によれば、中村は右の権限を有していなかつたことが明かであるから、控訴人の主張はその前提を欠き、採用することができない。

三  したがつて、控訴人の本件売買残代金の支払を求める請求は理由がない。

第二損害賠償請求について

一  控訴人は、被控訴人に対し、国家賠償法第一条第一項又は民法第七一五条第一項若しくは同法七〇九条の規定により控訴人の被つた損害の賠償を請求するのである。

二  そこで、まず、国家賠償法第一条第一項又は民法第七一五条第一項の規定に基づく請求について検討する。

1  本件の経緯

中村が昭和五〇年一二月当時防衛庁航空自衛隊補給統制処第三部所属の防衛庁事務官であつたこと及び坂本が同月一三日商談を目的として東京都新宿区市ヶ谷所在の右補給統制処第三部に中村を訪ねたことは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、次の事実を認めることができ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 控訴人は、東京都中央区築地所在の中央卸売市場において、イクラ・数の子・たら子・筋子等魚卵の卸売業を営む有限会社であり、代表者代表取締役青木末吉が老齢のうえ病気がちであつたところから、坂本が青木末吉から一切を任されてその経営にあたつていたところ、昭和三八年ころから訴外竹内春男と知り合い、交際していたが、竹内は、昭和五〇年一二月ころ食料品のブローカーをしていた。

中村は、昭和四〇年一月二〇日防衛庁事務官に任命され、航空幕僚監部人事教育部人事課人事第三班に配置されたが、昭和四二年三月一日補給統制処に転任し、昭和四六年八月二日その第三部第三整備課に配置され、昭和五〇年一二月当時は第三整備課の計画班に所属してその班員として勤務していたところ、昭和五〇年一〇月ころ竹内春男と知り合い、以後数回竹内の食料品取引を援助して手数料を得ていた。

(二) 坂本は、昭和五〇年一二月初旬ころ、竹内春男から、「今は防衛庁への納入業者になつて、防衛庁に魚や罐詰を納入しているのだが、防衛庁で数の子を欲しがつているので、品物を回してもらえないだろうか。坂本さんの力を借りたい。」等と申入れを受け、更に、同月一〇月ころ、中村から電話で、「防衛庁の中村であるが、竹内さんが私の話を持つて行くので、よろしくお取り計らい下さい。」と言われたうえ、竹内から「是非担当官に会つて下さい。」と言われたので、坂本は、防衛庁の担当職から具体的な話を聞いてみようと考え、同月一三日午後一時ころ、竹内の案内で、東京都新宿区市ヶ谷本村町一番地所在の自衛隊市ヶ谷駐とん地の一画にある航空自衛隊市ヶ谷基地に赴き、面会者受付所において後記認定のような手続を経て入門の許可を受け、同基地内の第一二号館(鉄筋コンクリート造三階建)に置かれた航空自衛隊補給統制処の庁舎の二階にある同統制処第三部第三整備課計画班の中村の執務室に同人を訪れ、中村から指示を受けて竹内とともに、右執務室の廊下を隔てて向かい側にある補給統制処の第一会議室に招き入れられた。

(三) 中村は、右第一会議室において、坂本に対し、「航空自衛隊補給統制処第三部防衛庁事務官」と肩書を付した「中村栄作」の名刺一枚を手交したうえ、「防衛庁の中村であるが、防衛庁で数の子を購入したいので、早急に五トンほど調達してもらいたい。お国のためだと思つて何とかお願いします。代金は一二月二八日までに半金を支払い、来年一月一五日までに残金を支払います。支払方法は日本銀行から控訴人の銀行預金口座に振り込んで支払います。隊員が年末年始で帰省する前に数の子を納入してもらいたい。」等と申し入れ、竹内春男も坂本に対し、「中村さんは防衛庁でいろいろ物資を調達するのを担当されている方です。」等と口添えしたので、坂本は、年末という時期からみて、五トンという大量の数の子を調達することは至極困難であると考えたが、「お国のために協力してくれ。」と言われたことに発憤し、中村の注文を受けることとして、同人に対し、「一番安い口銭で納めます。数量については最善の努力をして調達してみます。」と約束した。また、坂本は、その場で中村から控訴人の取引銀行の口座番号を教えてくれと言われ、中村に対し取引銀行である訴外株式会社第一勧業銀行築地支店の預金口座番号〇一四三八九六番を教えた。

(四) 坂本は、直ちに仕入先・同業者に対し協力を求め、品質を厳選してこれを集荷し、約定を履行し得る目処がついたので、昭和五〇年一二月一五日ころ第三整備課計画班において執務中の中村に対し電話で「注文を受けた数の子を調達することができたので、いつでも納入することができる。」旨を連絡したところ、中村からその電話で「明日自衛隊の方から自動車を差し向ける。」と告げられた。

中村は、同月一六日坂本に対し電話で「今車をそちらへ回したから、よろしく頼む。」と連絡し、坂本は、同日午後二時ころ、「中村事務官の使いの者である。」と名乗つてやつてきた自動車の運転手に対し、控訴人の中央卸売市場内の商品置場において、当日集荷した数の子三トン(代金一七二六万八〇〇〇円相当)を引き渡し、次いで、坂本は、同月一七日午後二時ころ右同所において、同様の方法により同じ運転手に対し、当日集荷した数の子二トン(代金一一三二万二〇〇〇円相当)を引き渡した。その運転手は、同月一七日坂本に対し、「昨日は数の子を入間基地の自衛隊に搬入したが、今日は数の子を熊谷基地の自衛隊に搬入する。」と説明した。

(五) 中村は、昭和五〇年一二月二〇日ころ坂本に対し、電話で「これまでの業者から納入されたものより良いものであつて、大変な評判だし、注文に応じ切れないので、もう一トン是非お願いします。」と重ねて注文した。坂本は、再び取引先等の協力を求めてこれを集荷し、その旨を中村に連絡すると、中村は、同月二二日午後二時かろ、使いの者として前とは別人の運転手を差し向け、坂本は、東京都中央区築地六丁目所在の訴外日本冷蔵株式会社勝どき橋工場に保管していた数の子一トン(代金五四〇万円相当)をその場で右運転手に引き渡した。その運転手は、その数の子を同都大田区蒲田所在の倉庫に搬入すると坂本に説明した。

(六) 坂本は、昭和五〇年一二月二八日ころ、控訴人の前記第一勧業銀行築地支店の預金口座を調べたところ、約定の代金が全く入金されていないことを知つたので、早速第三整備課計画班において執務中の中村に対し、電話で代金の支払方を催促すると、中村は、「一二月一五日までに品物が入らなかつたので、支払は来年になつてしまう。」と弁解し、更に坂本が昭和五一年一月八日ころ同じように中村に催促したところ、中村は、「年が明けて直ぐ、会計検査院の調査があつて、帳簿を動かせないから、調査が終わるまでもう暫く待つてほしい。」と弁解を繰り返した。

(七) 他方、中村は、昭和五一年一月二八日ころ坂本に対し電話で「会計検査院の調査の見通しが立つて、これまでの代金は二月五日に間違いなく全額支払えることになつた。入間基地での数の子の評判が非常に良いので、代金未払で申し訳ないが、数の子をあと一トン納入してくれないか。」と申し入れ、更に「今度の分も合わせて間違いなく支払うから、心配しないで納品してくれ。」と付け加えたので、坂本は、中村の説明を信用し、その注文を引き受けて数の子の調達に取り掛かつた。

坂本は、同月三〇日注文の数の子を取りまとめその旨を中村に電話で連絡すると、中村は、同日自ら控訴人の事務所に出向いたうえ、坂本の案内で数の子の保管場所である同都品川区大井埠頭所在の訴外北商株式会社の倉庫に掛き、中村の用意した自動車に数の子一トン(代金五四〇万円相当)を積んでもらつたが、その場で坂本に対し「たら子も希望者が多いので、ついでに二トンほどもらつて行こう。」と申し入れ、その承諾を得て、更にその自動車にすけとうだらの子二トン一四二キログラム(代金一六〇万六五〇〇円相当)を積んでもらい、坂本に対し「今日は遅いから、いつたん東京定温倉庫に入れますから。」と断わつて、その場から同区品川所在の訴外東京定温倉庫の前まで右数の子等の運搬し、その場で坂本から右数の子等の引渡しを受けた。その際中村は、坂本に対し作成名義人を「空自中村事務官」と自書した右数の子等の受領を記したメモ一枚を交付した。

2  中村の職務権限

<証拠略>によれば、次の事実を認めることができ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 航空自衛隊にはその機構として、補給処及び補給統制処が置かれているが、補給処においては、航空自衛隊の需品、火器、弾薬、車両、航空機、施設器材、通信器材、衛生器材等の調達、保管、補給又は整備及びこれらに関する調査研究を行うのに対し、補給統制処においては、補給処の行う右の事務に関する統制業務を行うものである。すなわち、補給統制処においては、補給処の事務が円滑に行われるよう計画し、その実施を指示し、また事務が計画どおり遂行されるよう監督し、計画目標と実績とを検討して事務遂行上のあい路を究明し改善する等の措置をとるのである。

(二) 航空自衛隊補給統制処第三部には、第三整備課、第三補給課及び第三調達課の三課が置かれ、第三整備課においては、通信器材、電波器材、気象器材、写真器材(航空機とう載の通信器材、電波器材及び写真器材並びにナイキ特殊装備品を除く。)、計測器、訓練器材(航空機関係訓練器材を除く。)等及びこれらの部品について、(1)整備業務の統制及び指導に関すること、(2)整備の計画に関すること、(3)整備に関する調達請求に関すること、(4)改善及び改修業務に関すること、(5)技術関係図書の審査に関すること、(6)整備に関する基準の資料の作成に関すること、(7)計画諸元に関する資料の作成に関すること、(8)整備に関する標準化業務に関すること、(9)関係予算の調整に関すること、(10)部内の業務の総括に関すること、(11)部内の他の課の所掌に属しない事項に関することをつかさどる。

また、第三整備課には、計画班、総括班、地上通信電子班、警戒管制班、支援器材班及びとう載通電班が置かれ、計画班においては、(ア)部の所掌業務をついて、(1)部の計画作成、(2)事務の総括、調整、(3)所掌予算の総括、調整及び現況は握、(4)支援状況の総合は握、分析検討及び処理促進、(5)エス・オー・ピーの作成維持、に関すること、(イ)部内の他の課の所掌に属しない事項に関することをつかさどる。

(三) 第三整備課計画班における中村の担当業務は、(1)第三部の各課が作成した業務計画の進捗状況等の分析検討書を取りまとめ、部長承認を得るための諸準備に関する業務、(2)会計検査院実地検査受検時に説明実施者が作成した質疑応答書の整理業務、(3)補給統制処の作成する機関誌「装備」の編集委員としての業務、(4)第三部一般秘密保全責任者としての業務、(5)技術指令書案の接受、記録及び送達の業務、(6)装備品の維持管理を能率化するための標準化についての会議日時等を部内担当者へ連絡する業務であつた。

(四) 会計法上売買等の契約を実施する権限を有する者は、支出負担行為担当官及び契約担当官に限られるが、補給統制処においては、(1)装備基準部調達課長が分任支出負担行為担当官であつて、補給統制処長(補給分任物品管理官)の調達要求に基づき、日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定第一条の規定に基づく有償譲渡物品につき契約を実施し、(2)業務課会計班長が契約担当官であつて、補給統制処長(一般分任物品管理官)の調達要求に基づき、市ヶ谷基地所在の部隊(航空自衛隊の中央航空通信群、幹部学校、補給統制処)で使用する事務用の備品及び消耗品につき契約を実施するとされている。

(五) したがつて、補給統制処においては、ごく限られた物品について売買契約を締結することがあるのみで、しかも、契約締結権限を有する者は右(四)の二名だけであつて、海産物等糧食の契約業務は行つていなかつたのであり、中村には売買契約締結権限はもとよりその他の契約締結の代理権限も与えられていなかつた。

なお。補給統制処における職員の福利厚生に関する事務は、業務課の厚生班がこれを担当していたが、右厚生班において職員のため衣料品・食料品等の購入をあつせんした事例はなく、基地内には酒保が置かれて、依託業者がこれを経営し、隊員・職員の日用品・飲食物等の需要をまかなつていた。また、市ヶ谷基地における隊員等の糧食については、陸、海、空の各部隊が協定して、その業務を陸上自衛隊市ヶ谷駐とん地の業務隊に一任していたが、その業務は基地内の前記第一二号館とは別の建物である第二号館において行われていた。

3  補給統制処の置かれている建物の状況、中村の執務状況及び基地内への入門・面会手続等

次の(一)の事実は当事者に争いがなく、<証拠略>によれば、次の(二)以下の事実を認めることができ、その認定を左右するに足りる証拠はない。

(一) 補給統制処に所属する者と面会しようとする者は、自衛隊市ヶ谷駐とん地の表門、左内門又は薬王寺門に設けられた面会者受付所において、面会申請書に日時、面会の相手方の氏名及び所属、面会の目的、申請者の住所氏名等を記入してこれを右受付所勤務の係官に提出する。係官は、電話で面会の相手方と連絡を取りその意向を確認した後、申請者に入門を許可し、その際申請者に入門許可バツジを交付する。申請者は、入門して相手方との面会を終えると、面会の相手方から右申請書に面会時間(始期と終期)を記入してもらい、かつ、捺印してもらつて、出門に際し係官に右申請書と入門許可バツジを返納する。

(二) 補給統制処は、第一二号館(鉄筋コンクリート造三階建)を使用しているが、第一二号館の表出入口には「補給統制処」と、裏出入口には「航空自衛隊補給統制処」とそれぞれ大書された木製の看板が掲げられている。

第三整備課の執務室は第一二号館の二階にあり、室内には第三整備課長の机のほか、執務用の机二三脚が配置され、計画班四名用の机は廊下との出入口に最も近い位置にあつて、右四脚の机の中央付近に外線との通話が可能な内線用の電話機が配置されていた。中村は、計画班用の机のうち廊下との出入口に最も近い位置にある机を使用していた。

第一会議室は、第一二号館の二階にあり、廊下を隔てて第三整備課の向かい側にあるが、補給統制処総務課の課長が第一会議室の管理責任者である。第一会議室は、特に会議・会合等に使用される場合を除き、随時簡略な打合わせ等に使用されていたが、後者の場合、総務課長の許可を得て使用する者もあり、総務課長に無断で使用する者もあつた。

(三) 坂本は、昭和五〇年一二月一三日、竹内春男とともに薬王寺門から市ヶ谷基地に入門したが、その際面会申請書に、面会の相手方を「中村栄作」と、面会の目的を「商談」とそれぞれ記入して係官にこれを提出した。入門した坂本は、第一二号館の表出入口にある看板に「補給統制処」と大書されているのを見て、第一二号館にある役所は防衛庁の物資を購入するところであり、すべての納入品はその役所で取り扱つているものと判断した。その二階に上がると、竹内は、坂本を廊下に待たせて置き、計画班で執務していた中村に来意を告げて、中村を坂本に引き合わせ、中村は、坂本と竹内を第一会議室に招き入れて、坂本と挨拶を取り交わし、前記認定のような数の子の取引の折衝をした。坂本は、中村が計画班の執務室から出て来たうえ、坂本らを第一会議室に招き入れて商談に取り掛かつたので、取引の相手方すなわち数の子の買主は官署である防衛庁であり、防衛庁が数の子を間違いなく買つてくれるものであると信じた。

(四) 第三整備課計画班には班長一名、班員三名が所属していた。中村は、第一会議室で坂本と商談した際、坂本に中村の机にある計画班の電話機の内線番号を教え(もつとも、前記名刺の裏にその電話番号が印刷されている。)、以後坂本と電話で通話した際には、ほとんどその電話機を使用した。しかし、中村は、周囲の者には聞き取れないような低い声で通話していたうえ、格別にそわそわするような不審な態度を示さなかつたので、第三整備課の課長及び同僚らは、中村のしていた本件取引行為に全く気付かなかつた。

(五) 第三整備課の執務室には常時一日に三〇名くらいの民間の業者が出入りしていた。それは、補給統制処においては前記認定の通信器材等の器材及びその部品につき直接業者との間で売買契約を締結することはなかつたが、補給統制処は、補給処が要求するところの、整備に関する調達請求に関すること、改善及び改修業務に関すること、技術関係図書の審査に関すること等の業務をつかさどるため、その業務を遂行するのに各専門業者から専門的知識・意見等を徴することが必要となり、常時多数の業者を呼び入れ、その打合わせをしていたからである。つまり、例えば、補給統制処が整備又は改修のためある器材又は部品の購入が必要であると認めた場合は、補給統制処が技術指令書と題する文書を発行し、補給処は、その技術指令書に基づいて指令された器材又は部品を購入するという仕組になつているのである。

4  中村の不法行為

前記1の(一)ないし(七)において認定した事実に<証拠略>を総合すれば、中村は、昭和五〇年一二月当時、多額の借財の弁済に苦慮していたことなどから、防衛庁事務官の地位を利用し自らの利を図る意図のもとに、防衛庁との取引ができるという口実を設けて控訴人から魚卵を騙取しようと企て、竹内春男と共謀のうえ、防衛庁が魚卵を買い受け、その代金を支払うものではなく、中村らもその代金を支払う意思と能力がなかつたのに、坂本に対し、あたかも防衛庁が控訴人から数の子及びすけとうだらの子を買い受け、その代金を支払うもののように装つて、その旨を申し向け、坂本をしてそのように誤信させ、よつて坂本から前記認定のように数の子及びすけとうだらの子の交付を受けてこれを騙取し、控訴人に対しその代金額に相当する合計四〇九九万六五〇〇円のうち支払を受けた三一五〇万円を控除した九四九万六五〇〇円の損害を被らせた事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  そこで、前記二において認定した事実に基づき考察する。

1  まず、中村は、防衛庁を代表又は代理して海産物等糧食につき売買契約を締結する権限を有しなかつた者であり、控訴人との間に魚卵の売買名下に行つた前記行為は、中村が防衛庁事務官としての地位を濫用し私利を図る目的をもつて行つたものであることが明らかであるが、中村のした右不法行為は、いわゆる私経済的作用に属するものであるから、控訴人の訴求する被控訴人の損害賠償責任の存否については国家賠償法第一条第一項の規定の適用はなく、民法第七一五条第一項の規定の適用が問題とされるべきものと解するのが相当である。したがつて、国家賠償法第一条第一項の規定による控訴人の請求は、理由がない。

2  そこで、次に民法第七一五条第一項の規定による請求について検討する。

民法七一五条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」とは、被用者の職務執行行為そのものに属しないが、その行為の外形から観察して、あたかも被用者の職務の範囲に属するものと認められる場合をも包含するものと解すべきである。

しかしながら、航空自衛隊補給統制処第三部第三整備課計画班所属の防衛庁事務官にすぎない中村が、控訴人との間で魚卵売買名下に行つた総額四〇九九万六五〇〇円にも及ぶ取引行為は、前記認定にかかる補給統制処、同処第三部第三整備課及び同計画班の各業務内容、中村の担当職務内容、補給統制処において売買等の契約を実施する権限を有する者並びに補給統制処における物品購入等の実情に照らせば、他に特段の事情がない限り、とうてい、これをもつて官庁としての防衛庁のする取引行為であり、その職務上の行為に属すると認められる外形を有するものであるとはいいえないというべきである。

控訴人は、中村の魚卵売買名下にした行為が中村の職務行為と認められる事情として(一)防衛庁航空自衛隊補給統制処という名称は社会通念上その部署が物資の補給、調達に関する業務を担当しているものと考えられること、(二)控訴人の専務取締役である坂本は、補給統制処所属の防衛庁事務官である中村から直接電話で連絡を受けて、東京都新宿区市ヶ谷所在の補給統制処へ出頭することを要請されたこと、(三)坂本は、中村と面接し売買の折衝をするため、所定の厳重な面会手続を経て航空自衛隊市ヶ谷基地内に出入りしたうえ、補給統制処と大書した看板のある一二号館(鉄筋コンクリート造三階建)の二階会議室において、中村と長時間にわたつて商談し、中村から「年末に、正月用の数の子を職員にあつせんし、又は隊員の食用に供するため、数の子を購入したい」と注文を受けたこと、(四)その他諸般の事情をあげている。そして、前記認定の事実によれば、控訴人主張の(二)ないし(四)につき(1)坂本は防衛庁航空自衛隊補給統制処第三部第三整備課計画班所属の防衛庁事務官である中村から直接電話で取引の申込みを受けたこと、(2)中村から注文を受けた坂本は、坂本の相手方の真意を確認すべく中村に面会しようとし、昭和五〇年一二月一三日、竹下春男とともに市ヶ谷基地薬王寺門から同基地に入門した際、面会申請書に面会の相手方を「中村栄作」、面会の目的を「商談」と記入してこれを係員に提出し、入門の許可を得て、建物の表出入口には「補給統制処」と、裏出入口には「航空自衛隊補給統制処」とそれぞれ大書された木製の看板が掲げられている基地内の第一二号館二階の中村の執務室に至り、中村から右執務室向い側の第一会議室に招き入れられて取引の折衝をしたこと、(3)中村は、取引の折衝にあたり坂本に対し「防衛庁で数の子を購入したいので、早急に五トンほど調達してもらいたい。お国のためだと思つて何とかお願いします。隊員が年末年始で帰省する前に納入してもらいたい。」旨申し入れたこと、(4)中村は、昭和五〇年一二月一三日第一会議室において坂本に対し「航空自衛隊補給統制処第三部防衛事務官」と肩書を付した自らの名刺を手交し、以後第三整備課計画班に設置された電話機を使用して数回にわたり坂本と通話したことの各事実が認められるところである。

しかしながら、控訴人の主張(一)の点については、およそ官署の機関の所掌する事務の内容が該官署の名称だけから明らかにされるのが通常であるとはいえず、現に航空自衛隊の機関たる右補給統制処の設置並びにその所掌する事務の内容については自衛隊法第二四条、第二六条及び第二六条の二の規定により定められているのであるから、前記名称のみから右官署の所掌事務が物資の購入等であるとの外観が存するということはできない。また、控訴人主張の(二)ないし(四)の事情に関し認めうる前記(1)ないし(4)の事実のうち、坂本が基地に入門する際の許可手続については、単に外部者である坂本が航空自衛隊基地内に入り基地部内の者と面接するにあたり、他の外部入門者と同じく通常要請されている面会申請書提出の手続をとつたというだけのことであるし、中村が電話で直接取引の申込をし、坂本が中村に第一会議室へ招き入れられて中村と面談し、その後も中村が電話で数回通話したことをもつて直ちに中村が職務執行として取引をしていると外形上認めうる事実とはいえないことも明らかである。更に中村の注文の言についても、一般に防衛庁又は自衛隊において職員又は隊員のために物品購入をすることも付随的業務の範囲に属すると考えても不思議とはいえないことができるとしても、そうだからといつて、当該注文をした中村の本来の職務内容との関連性を全く抜きにして右中村の発言が中村の職務執行行為であると外形上認められる事情となりうるものとはとうていいうことができない。そして、他に本件中村の行為が外形上同人の職務行為と認めうる特段の事情の存在することを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、中村の行為をもつて民法第七一五条第一項にいう被控訴人の「事業ノ執行ニ付キ」されたものということはできないから、その余の点について判断するまでもなく民法第七一五条第一項の規定による控訴人の請求は理由がない。

四  控訴人は、更に民法第七〇九条の規定により損害賠償を請求しているので、この点について検討する。

前記二の1で認定した事実によれば、本件においては、被控訴人の行為そのものから直接に控訴人が損害を被つたものではなく、中村がその地位を濫用し私利を図る目的で魚卵の売買名下に行つた不法行為により控訴人が損害を被つたものであり、被控訴人自らの過失により損害を被つた旨の控訴人の主張も、被控訴人の中村についての選任又は監督上の過失により中村の右不法行為が惹起され、その中村の行為によつて控訴人は損害を被つたものであり、そして被控訴人の中村についての選任又は監督上の過失と控訴人の被つた損害との間には相当因果関係があるから、民法第七〇九条の規定により右損害の賠償を求めるという趣旨と解される。

しかしながら、民法の規定によれば、個人は、他の者が不法行為により第三者に加えた損害について原則として責任を負わず、その他者との間に無能力者とその法定監督義務者、被用者と使用者、請負人の注文者というような特殊の関係がある場合に一定の要件の下に責任を負うにすぎないものとされているのである。そして、本件の場合は被用者と使用者との関係にある場合であるが、使用者は、被用者が「事業ノ執行ニ付キ」第三者に加えた損害についてのみ、しかもその被用者の選任及び事業の監督につき相当の注意を怠つた場合にその賠償の責任を負うにすぎないものとされているのであり、したがつて、被用者が「事業ノ執行ニ付」いてでなく、私行上の行為により第三者に対し不法に損害を被らせた場合については、たとえ被用者の選任及び監督について相当の注意を怠つたからといつてその損害の賠償の責任を負うこととはされていないのである。けだし、使用者は、事業活動につき契約等より被用者を雇用(広い意味で)し、これを指揮、命令、監督するものであり、その反面第三者に対しても事業の執行についてその選任及び監督上の注意義務を負うものと解されるのであるが、それ以外の事項(たとえば私行上の行為)については使用者であるからといつて被用者に対し指揮、命令、監督をすべき権限はなく、したがつてまた第三者に対する関係で選任及び監督上の注意義義務を負うものではないからである。すなわち、使用者は被用者の「事業ノ執行ニ付キ」する行為以外の行為についてはその選任及び監督上の注意義務はないものであるからその注意義務違反としての過失を論ずる余地はなく、したがつて、右のような行為についての使用者自身の過失を理由に民法七〇九条の規定による責任を問う余地もないものというべきである。本件においては、中村の行為は被控訴人の「事業ノ執行ニ付」いてされたものではないことは前記二で説示したとおりであり、いわば中村の私行上の行為と目すべきものであるから、右中村の行為につき被控訴人に選任監督上の過失があつたとして民法第七〇九条の規定により右中村の行為によつて生じた損害の賠償を求める控訴人の請求の理由のないことは、前記説示したところにより明らかである。

もつとも、被用者が事業の執行以外の行為により不法に第三者に損害を加えた場合であつても、使用者が被用者を利用してそれを行わせた場合あるいは被用者が第三者に不法に損害を加えることを知りこれを防止すべき義務があるのになすがまま放置していた場合等使用者が不法行為をしたのと同視することができるような場合には、民法第七〇九条の規定により損害賠償の責任を負うものと考えられるが、前記認定の事実によつては本件がこのような場合にあたるものとはいえず、他に本件が右のような場合にあたることを認めるに足りる証拠もない。

そうすると、民法第七〇九条による控訴人の請求も理由がない。

第三結論

以上によれば、控訴人の請求はすべて理由がないからこれを棄却すべきものであり、これと同旨の原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九五条、第九六条後段、第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 香川保一 越山安久 村上敬一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例